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みずがきじんじゃ
- 土御前、玉垣の總社
- ≪彌都加伎神社の由来≫
- 御祭神
- 主神 大土御祖神
- 相殿
- 土之御祖神 埴安比賣神 宇賀御魂神 事比羅神
- 配祀
- 菅原道眞公 素盞鳴命 天忍穂耳命 天之菩卑命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命 多紀理比賣命 田寸津比賣命 市寸鳴比賣命 奥津鳴比賣命 狭依比賣命 多氣津比賣命 速玉之男命 品陀和氣命 大日靈命 大山祇命 吉田命
境外末社 |
配祀神名 |
境外末社 |
配祀神名 |
須賀社 |
素盞鳴命 |
天白神社 |
奥津鳴比賣命
狭依比賣命
多氣津比賣命 |
宇氣比神社 |
天忍穂耳命
天之菩卑命
天津日子根命
活津日子根命
熊野久須毘命
多紀理比賣命
田寸津比賣命
市寸鳴比賣命 |
熊野社十二社権現 |
速玉之男命
菅原道眞公 |
末広八幡神社 |
品陀和氣命 |
深田神明社 |
大日靈命 |
吉田神社 |
大山祇命
吉田命 |
彌都加伎神社 由緒
遠い昔からこの土地で土に携わって生活をして居た人達や、土地の有力者の人等が、土を司どる神を祀っていた。
その後、大土御祖神を醍醐天皇の延喜5年(905)の頃、山田原の御霊を海部村に勧請し、 後に村の中の清浄で村人等の集りやすい中心場所である現地に移し、瑞籬村と称してお祀りし、それが現在の彌都加伎神社の起源である。
光仁天皇の御代宝亀元年に井上親王の霊夢により、御厨より御供糀を豊受宮に奉献することとなり、 祭神の大土御祖神に土之御祖神、埴安比売神を合せて奉斎する事になったと言われ、和名抄郷名の資母郷が玉垣村に当るといわれ古い郷である。
明治2年3月明治天皇御東幸の途次亀井茲監を勅使として奉弊代拝の処遇を受けた。
明治39年神饌弊帛料供進指定神社となる。
明治41年村内無格社を合祀、昭和4年、先に合祀した須賀、宇気比、胸形、熊野、八幡、深田、吉田の七神社に合祀前の祭神を祀り、 氏子区域は旧玉垣村(現東玉垣、西玉垣、南玉垣、北玉垣、四町と桜島町、末広町)全体である。